17.松旭斎天華 |




松旭斎天華(しょうきょくさい・てんか)の名跡は、初代から三代まである。初代松旭斎天華(本名・萩原君子)は、初め松旭斎天勝一座にいたが3年で退座し、松旭斎小天勝を名乗り奇術興行を始めた。しかし、天勝から「無断で天勝を名のるのは不届き」と抗議を受けて、芸名を松旭斎天華と改めた。一座は国内のほか、南方、東南アジアなどで巡業を続けた。しかし、帰朝後初代天華は24歳の若さで病死した。そのため一座の足立鶴子が二代目天華を継いで興行を続けた。その後、訳あって一座の歌手・赤田竜子が三代目となった。
天華一座の興行プログラムは奇術、曲芸、舞踊、音楽、寸劇など、バラエティーに富む内容であった。